行雲流水的日記

三角を作ったり壊したりするゲームにはまってます

これが私のみおくり方

今日は長年の知人のお通夜でした。知人というか年の離れた友人のほうがしっくりくるのかな。

もともとは私のいた職場にパートさんとしてやってきました。それも動物愛護なんちゃらの活動をするのに、就職している必要があるから、「どこでもよかったの」という腰掛かあ……みたいな。それにしては普通のパートとは一味も二味も違ってて。どう見ても社員よりもガッツがあって、思うまま仕事しててw

上も「これはただもんじゃないな」とパートの身分は変わらなかったけれど、一般のワーカーから商品開発にコンバートなんてうちの職場で初めての人事ですよ。ていうか英断した上もすごかった。今ならそんな人事はできないんじゃないかな。

経歴も独特。実は本物のお嬢様。実家が裕福で幼い頃から海外に留学。宝塚音楽学校に合格するも家族の反対で入学できなかった。髪を自分で洗ったことがない(いつも美容院で洗髪とセットしてもらう)。下着もクリーニングに出す。得意の語学を生かしてホテル業界でバリバリと働き、年下の旦那様と出会い「気が付いたら転がり込んでたの」と婿養子GET。などなど武勇伝多すぎなんですよね。

商品開発ってガッツと信念と根性、センスが必要な仕事ですが、彼女の作った一番のヒット商品は今も変わらずの人気を維持しています。「後輩は何をモタモタしてるの。早くもっといいの出しなさいよ」という彼女の叱咤激励が聞こえてきそうです。いやいや。あなたみたいにはガッツあふれる開発担当者もういないんですよ……。

彼女が60歳で定年の際、うちの会社は規定だからと引き留めなかった。「ぜひうちに来てください」と何社もの取引先が手を挙げたのです。もちろん社員以上の待遇で、です。その中から仕事が面白そうと選んだ会社に再就職。灘から奈良まで3年間通ってました。元職場に「この若い子たちに〇〇のこと教えてあげてよ」って若い社員連れて来たこともありました。若い今どきの社員には、彼女のパワーは異常に見えるかもですが、迷惑なくらい周りを動かすパワーや姿勢を見ているだけで、彼らの糧になるはず。

マネしたくない部分もあるしマネできないけどw

奈良の会社を辞めてからはシナリオの道へ。宝塚には入れなかったけれど、ずっと芝居にも興味があり、自分の作品・脚本を書きたいとシナリオ学校に通い始めました。シナリオ書くのにパソコンいるからと私、何回もパソコンやネット、プリンターの設定に自宅まで連れていかれたっけ。

原稿書いてて段がずれた、文字がどっかいったとか、FAXでSOSの呼び出しがかかって。およそ事務系仕事には向いてない彼女ですが、やる気だけはMAXでした。だから彼女のシナリオ、友人の中で私が一番読んでいたかもです。

北海道のなんちゃらシナリオ選考会とかで大賞を受賞したこともありましたっけ。授賞式でもせっせと自分の作品を舞台化しろとか映像化してくれないだろうかと売り込みをしていたそうです。賞をとっただけではだめ、スポンサーがついて具体化してくれる監督を見つけないと!と変わらずのガッツでした。

そんな彼女のもう一つの顔。猫への愛。最近、空前の猫ブームが来てますが、その前からの猫推し。一軒家の自宅の庭には毎日餌目当ての野良ちゃん達が集まってました。飼い猫は2匹でしたが、野良ちゃんに「うちの子になる?」と声をかけて、家の中にあがってきた子をそのまま飼っていたとか。

年下の旦那様はいるけど、お子さんはおらず。野良ちゃんたちのお世話とかどうなるのかな?とちょっと心配にもなるけど、「どうにかなるわよ」と彼女なら笑ってそう。

お櫃の中の彼女は病気で苦労した姿だったけれど、いつもきれいにおしゃれして見た目にも拘った彼女だもの。笑顔の遺影をしっかり目に焼き付けて、お別れしてきました。

あなたに会えて楽しかった。勉強になりました。

さようなら。